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元旦初詣に益子の西明寺詣ではいかがでしょうか?
益子の高館山中腹にある
西明寺。
何度も兵火によって焼失していますが、かなり歴史のあるお寺です。
歴史的には天智天皇治世の時に活躍した行基という僧侶が開山し、紀有馬麻呂の開基によって創建されたと伝えられており、真言宗豊山派の寺院で坂東三十三箇所第20番札所であり、国の重要文化財にも指定されています。

本堂への階段を上がる手前に四方竹という中国原産の観賞用の竹林があり、稈(かん)が四角になっています。
階段を登りきると左手に三重塔が見られます。
高館城主
益子家宗により建立され、1543年に完成され、関東甲信越の四古塔の一つに数えられています。
また正面には1492年に建立されたという楼門があり、楼門、三重塔どちらも国の重要指定文化財です。

本堂。
この本堂の中に入っている厨子は国指定重要文化財です。

こちらは閻魔堂。 素朴な建物ですが、建立は1714年、寛保3年再建されています。
中に入ると。。。

閻魔様が笑っています。
「笑い閻魔」と呼ばれ、県の指定文化財となっています。
閻魔は日本仏教において地蔵菩薩の化身とされており、地獄に落ちた人を救うためにいるんだそうです。
「ははは・・」という笑い声がお地蔵さまの真言だから閻魔様が笑っているとか。。。

堂内には県指定文化財の閻魔大王、善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊の五体の仏像が並んでいます。
写真の右側は善童子、左側には悪童子です。
そしてお堂の中には「エンマの道しるべ(心の故郷)」なる張り紙が。
ちょっとまて
先ず考えよ
そして見直せ
右が極楽左は地獄 心ひとつが道しるべ
行き詰まったと思うは心からだ
詰まって詰まっていよいよ詰まったら又開ける
これが世間であるこれが人生である
統べてを見直し更に見直せ家も己も
妻も子も 必ずや真実の相(すがた)があらわれ
平和が更に蘇るであろう
「静かなる反省」「動なる精進」・・・・・。
と書かれております。
除夜の鐘を聞きながら今年一年を振り返り煩悩を清め、新しい良い年をお迎えください。
第二十番 独鈷山 西明寺本尊 十一面観世音
おんまかきゃろにかそわか
御詠歌
西明寺 ちかいをここに尋ぬれば
ついのすみかは西とこそ聞け
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四年に一度益子町山本地区にある松本三ノ宮神社境内で行われる松本歌舞伎舞台。
江戸時代後期から始まり、昭和26年に一度途切れ、2005年から復活。
今回で三回目。
2012年10月27日(土)の気持ち良い秋風が吹く中開催されました。
歌舞伎の役者は地方から呼び寄せており、舞台設置や運営は山本地区の地域住民の方々が担当し、
以前は舞台装置を茂木など他の地域にも貸し出したりしていたそうです。
開会式は宮崎栄一松本歌舞伎舞台保存事業実行委員長のあいさつから始まり、
福田富一栃木県知事、大塚朋之益子町長、岩崎 信県議会議員、小杉守利益子町議会議長、高橋正恭益子町教育長他、そうそうたる顔ぶれが集まり祝辞を述べられました。

宮崎栄一実行委員長

福田富一栃木県知事

大塚朋之益子町長


演目の初めは山本子供お囃子会のみなさんです。
子どもたちへの伝承に力を入れ、地域の大人たちが指導しています。
子どもたちの元気な掛け声に大人たちは笑顔になります。
続いて益子町で活動しているブーゲンビリアとハイビスカスの皆さんのフラダンスショーに須永翔さんの手品ショー、鈴木初枝さんのソプラノ独唱とプログラムは進んでいきます。


そしていよいよ農村歌舞伎、茂木飯野歌舞伎です。
地域は違いますが、俳優の原田芳雄氏の遺作となった映画
「大鹿村騒動記」は大鹿村の農村歌舞伎を一度見て、これを題材にどうしても映画を撮りたいとあらゆるところに声をかけ制作に至ったといわれています。
俳優がが魅了する農村歌舞伎。。。
平日はお仕事をもっている役者さんたち。
全員が日程を合わせることは非常に難しいとのこと。
この日の為に一生懸命練習して本番当日を迎えました。
茂木飯野歌舞伎は明治の農家の人々による「大和座」が発端といわれており、
後継者不足で何度か休止と復活を繰り返してきましたが、「飯野歌舞伎会」によって
復活し、平成元年には茂木町指定無形文化財となり、伝承されてきています。
この日の演目は「寿曽我対面の場」と「白波五人男 稲勢川勢揃いの場」。
ちょっとしたアクシデントに笑いが起こったりと、演者と観客が一体となって会場は大変盛り上がっていました。


目玉は襖絵と舞台のからくり操作です。
襖絵は町の指定文化財となっており、 真岡の安達三楽斉という江戸時代後期の画工が描いたものです。
襖絵が開閉したり、180度回転し絵柄が変わったり、90度回転し遠近描写で奥の背景が見えるようになったりするカラクリをお披露目してくれました。
この襖絵の操作は非常に難しいようで、町の指定文化財となっている襖を落として壊したりしないよう、本番前日まで操作の練習を繰り返ししたそうです。
特に風が吹くと操作をするのは大変だそうで、当日は風が強かったので大変だったことでしょう。


その後も最近では生演奏ではなかなか聞くことのできない妙伝寺雅楽
そして地域の方々による大正琴、尺八民謡のお披露目。

日が暮れて山本鹿島神社太々神楽、町の無形伝承芸能の指定も受けております。
太々神楽が終了するころは辺りは真っ暗。

最後のトリは船生かぶき村の皆さんによる大衆演劇。
十三夜の月明かりが綺麗な夜、笑いあり、涙ありの演劇を地域の皆さんは楽しんでいたようです。
松本歌舞伎舞台公演は地域コミュニケーションのツールのひとつでもあり、地域の方にとって大きな行事でもあります。
しかし、この地域伝統文化を継承していくにも並々ならぬ努力が必要です。
この素晴らしい伝統文化は益子町にとって、栃木県にとって日本にとっても大きな財産です。
先祖代々伝わる郷土文化を子々孫々受け継がれていくことを願っています。
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益子県立自然公園の東側に建立している地蔵院。
地蔵院本堂は国指定重要文化財に指定されています。
宇都宮家の墓所が近くにあり、地蔵院は宇都宮家の菩提寺です。
宇都宮家というと、武家あり当時関東きっての名家でした。


初代・宇都宮宗円から33代宇都宮善綱までの歴代当主の墓が並んでいます。
このあたりの地域の人たちはこちらの墓所を御廟(ごびょう)と呼んでいます。
鎌倉時代に宇都宮家の3代当主朝綱が出家するにあたり、尾羽寺を隠居の地と定め、
周辺を整備し、尾羽山地蔵院を創建しました。
![IMG_0115[1]](http://blog-imgs-55.fc2.com/m/a/s/mashikojk/201206150926213ff.jpg)
急な坂を上ると地蔵院の楼門

国指定重要文化財の地蔵院本堂
本堂の中は花鳥、飛龍、鳳凰の色彩画が填められているそうです。
![IMG_0116[1]](http://blog-imgs-55.fc2.com/m/a/s/mashikojk/20120615092620657.jpg)
本堂の左手(北西)に建立されているのは地蔵院観音堂
以前は茅葺でしたが現在は銅板で覆っています。
![IMG_0129[1]](http://blog-imgs-55.fc2.com/m/a/s/mashikojk/20120615092717ce0.jpg)
本堂奥の左手に天然記念物の糸ヒバ。
こちらは推定樹齢600年となります。
![IMG_0140[1]](http://blog-imgs-55.fc2.com/m/a/s/mashikojk/2012061509271634a.jpg)
本堂から振り返ると天然記念物の菩提樹があります。
こちらは推定樹齢500年
お釈迦さまが菩提樹の木の下で悟りを開いたといわれていますが、
こちらの菩提樹とは別ものです。

続いて綱神社へ
赤い鳥居をくぐり長い参道を歩くと茶色の鳥居をさらにくぐります。。

階段を登りきると正面に綱神社本殿。
こちらも国指定重要文化財です。
茅葺で屋根が作られています。
綱神社は宇都宮氏3代目・朝綱が公田(国家に所有権がある田地)を百余町歩を奪い取って自分の領地にしたとして、下野の国司・藤原行房から訴えられ、土佐へ流刑となり、その後許されて戻ってきた際に土佐で赦免を祈願していた加茂明神を勧請し建立されました。
祭神は大国主命の子 阿遅鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)で農業の神様です。
11月第2日曜日には1年の豊作と無事を感謝して上と人とが酒食をともにする太々神楽が奉納されます。

綱神社本殿の左隣にあるのは大倉神社です。
もともとは大倉林(現大羽小学校)に鎮座しておりましたが、
保存のために綱神社の摂社となり、建物を現在地に移転し、国の重要文化財に指定されています。
祭神は大己貴命(大国主命の別名)で医療と祈祷の神様です。
![IMG_0119[1]](http://blog-imgs-55.fc2.com/m/a/s/mashikojk/20120615092619cbes.jpg)
山林で囲まれておりますが、整備された地蔵院周辺をみると、
当時宇都宮氏はかなりの勢力を持っていた氏族であったことを感じます。
自然豊かな益子町大羽の地に歴史を感じる寺院・神社があることに深く感銘を受けました。
地蔵院
所在地 栃木県芳賀郡益子町
山号 大羽山
宗派 真言宗智山派
本尊 延命地蔵菩薩
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ゴ~ン・・・ゴーン・・・ゴーン。。。。。
城内坂事務所近辺から聞こえてくる鐘の音。
どうやらお隣のお寺からのようで、夕方フラッと訪ねてみました。

門前には「如意山 観音寺」の掲示板があり、
「拝む姿はきれいに咲いた心の花である」
と書かれていました。
仏を尊じる心は美しい心をもっているという意味でしょうか???
ちょっと気を引き締めて中に参道へ、

石門には如意山・観音寺と書かれております。

参道に入ると右手に馬頭観音の石碑があります。
馬頭観音とは観音菩薩の変化身のひとつで六観音の一尊にも数えられています。

石段を登りきると正面には本堂です。
堂内には子安地蔵を奉安し、安産・子育ての守護仏として信仰されているそうです。
また如意山・観音寺は関東八十八か所霊場の第30番霊場であり、栃木県最後の霊場です。
やはりお寺は凛とした空気につつまれてますね。

本堂横には「南無大師遍照金剛」と書かれた弘法大師の御像があります。

御像から180°振り向くとみえるのは鐘楼です。
ここから鐘をついていたんですね。

観音寺からみた風景。
【真言宗豊山派】
本尊:如意輪観世音菩薩
真言:おんばらだはんどめいうん
御詠歌:にょいさんの てらのみまえに まいりきて かんのんぼさつを おがむもろひと
P.S 事務所わきのスペースに満開のシャクナゲが咲いていることに気付きました。
御仏様から「気付き」のご褒美だったのでしょうね。
テーマ:まち歩き・お散歩 - ジャンル:地域情報
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